本日、無事に日本に帰ってくることが出来ました!今まで心配してくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました!
この2ヶ月は夢のようで、昨日まで南米にいたことも、今こうして東京の我が家にいることもまだ実感がわきません。きっと「ああ、旅は終わったんだなあ」と感じるまで、もう少し時間がかかると思います。時差ボケでこの時間でも目はパッチリです。
2ヶ月前私は、きっとこの旅は楽しいことばかりなんだろうなあと考えていました。もちろん、危ないしトラブルにも巻き込まれることもあるだろうとは覚悟していましたが、旅に出ること=楽しいこと、となんとなく思ってました。
でも、旅を続けるにつれ、心の中には楽しいと言う感情ともうひとつ、何かモヤモヤしたものが生まれてきた。そしてふと、「これでいいのかな」と思うようになった。そして痛感したのが、
「旅は自己満」
ということ。色々なものを見て、感じて、色々な人に出会って、学んで、それらはもちろん、かけがえのない貴重な経験だけど、結局は全て自分のため。旅をしている現地の人にも、私達旅行者はお金を落としていくことしか出来ない。
去年、ウユニ塩湖で出会った方が言ってた事。
「旅なんて結局自己満だから、俺達はニートと対して変わらないんだよ」
当時の私にはその意味が良く分からなかった。なぜなら、それまでの私はボランティアという活動を通じ、自分がそこにいる何かしらの存在意義を見つけていたから。(ボランティアも自己満と言われればそれまでだけど。)1週間程度の短い旅行では、自分の生活の重点は旅以外の部分にあるから、その1週間だけ自分のためだけに行動しても、その行動に疑問を持つことはなく、純粋に旅を楽しむことが出来る。私も過去二回の南米は、一ヶ月ボランティア、一週間旅行をし、その一週間は楽しいことばかりだったから、私は「もっと長く旅行できたら、もっと楽しんだろうな」と漠然と考え、憧れていました。
でも今回、2ヶ月という期間、ひたすら自分の思うがままに行動したことで感じた心のモヤモヤ。それは、
「私以外の人たちにとって、私が旅に出ることは何の意味があるんだろう」
という疑問。
二ヶ月という期間で得た経験から、私は今後何を生み出していけるんだろう。
私がここまでこれたのは、たくさんの人たちのおかげなのに、私は旅の最中、彼らの為に何も出来なかった。ただ自分が楽しい思いをしただけだった。
私は過去二回の旅を含め、今まで長期旅行者の方々にたくさん会いました。私はすごく彼らを羨ましいと思うし、私もいつかもっと自由に、世界中を見てみたいと感じていました。
でも今回、短い期間ではあったけれど、彼らの仲間入りをして感じたことは、みんな同じような疑問や葛藤を抱え、戦っているんだという事。
普通の人から見れば、長期旅行者は働きもしないでただ好き勝手やっている人達に見えると思う。確かに、それは事実。でも彼らがカッコ良く見えるのは、輝いているように見えるのは、みんな自己満足の範疇を出ない「旅」の中で、自分なりに葛藤することで、他人にとって、自分がそこにいる意味を見つける強さを持っているから。そしてその強さは、時に危険が付きまとう世界を旅する強さになるんだろう。
ある人は技術を学び、自分で何かを生み出し人に与えることで、ある人は自分の見た光景を出来る限り多くの人に提供することで、少しでも他人に対して出来ることを探し、自分なりの旅する意味を見つけていた。
私は旅をすることが好きだし、これからも色々な場所に行ってみたいと思う。でもまだ私には、旅を通じて、自分が他人に出来ることがわからない。他人にとっての、私が旅する意味がまだ見つけられていない。世界をめぐるのはきっとそれを見つけてから。
この2ヶ月、ずっと「自己満足」の旅を続けて見えてきたもの。2ヶ月前には思いもしなかった疑問。それを見つけられたことが、今回の旅の意義かもしれない。
自分のためだけに生き続けるのは苦しい。人が生きていくためには、誰かの為に生きることが必要。だから、人は一人では生きてゆけないのかな、なんて事を旅の終わりに考えてみた。
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